最高の眠りと御一緒にどうぞ

2012年の1月5日のうたた寝が見せてくれたもの。
序盤はよくある混沌。夜の東京を車で走り、友人に古いコンピュータゲームを引き合いに出した例え話を語り、とあるビル内でミュータント作成の計画を知り、そのビルの警備員か何かが残した何かをどうにかした。
 
さて。ある年ある月の17日の午後。どうやら私は学校にいるらしい。おそらく男女共学の公立高校であろう。
この学校では、明日18日に殺戮が行われる。誰が行うのかは判然としないが、命を奪われるのは学生たちである。そういう事情は学内に知れ渡っているようで、それに対する反応は大きく二つ。新興宗教の様なものを形成し、死に抗うのは不自然だと、校舎内で17日の終わりを迎えようとする者たち。もうひとつは、普通に帰宅する者たち。殺戮自体を止めようという人間はいないようだ。
この”殺戮”であるが、過去にも行われた例がある。それがこの学校であったかは分からないのだが、一人の生存者のエピソードが伝えられている。ある男子生徒が、資料室だか倉庫だかに隠れて難を逃れたという話だ。
私は”帰宅組”であり、死ぬつもりは全く無かったが、明日ここで行われる事には興味があった。その生存者の様に天井裏などに隠れて一晩…、と考えたが、匂いで気付かれてしまうだろうか、と思い、考え直した。”連中”は鼻が利くのだという事は知っている。そういえば昨日の晩は風呂に入っていなかった。これではますます目立ってしまう。
そんな考えを廻らせながら廊下に立ち、教室越しの窓の外を眺めていると、”参加組”の集団が笑顔で踊り狂いながら廊下の向こうからやってきた。中には、私の中学時代に委員長を務めていた真面目な女子の姿もあった。満面の笑みで手を振ってきたので、こちらも笑顔で手を振り返した。こんなにお互いの気持ちがぶつからない挨拶も珍しい。
私は階段を上がり、3階に出た。今いる校舎の最上階である。そこには2人の野球部員の姿があった。先輩と後輩の関係であるらしい2人の話題は女である。先輩が女を孕ませただの、堕胎させただのという下衆な話だった。彼等は帰宅組らしく、これから部活なのか、もう終えたのかは知らないが、明日以降も下衆な日常を続けていくつもりのようだ。
 
帰宅組と思われる一団が歌を唄いながら廊下を歩いているのを見た。私も見知った友人の横に並び、一緒になって唄った。何故か気持ちが昂ぶり、ある箇所で気合を込めた一声を発したところ、前方で誰かがこけた。「声にびっくりしてこけた」と言っていたが、声の主が私だとは分からなかったらしい。
やがて一団が到着したのは体育館や講堂などを思わせる広い空間であった。かなりの人数が集まっているが、みな帰宅組であるらしい。何か催しでもあるかもしれなかったが、あまり興味はなかったので、親しい仲間数人と共に、その場を離れた。そろそろ夕方になる。帰宅を考えた私たちだったが、それと同時にある事を思った。参加組が、帰宅組の帰宅を妨害する可能性である。
 
校門に向かって歩き、校舎の端まで歩いてきた時であった。非常階段の1〜2階踊り場に、ある女子の姿が見えた。彼女は油を下の階段に撒いている。どうやら、帰宅もせず、殺されもしないつもりらしい。火で壁を作り、非常階段から通じている屋上で18日をやり過ごすという考えのようだ。
それもいいだろう。と思ったが、彼女の上、2〜3階の踊り場に別の男子の姿が現れた。女子と似た考えの彼はしかし彼女と行動を共にするつもりはないらしく、階下に油を撒くと、素早く火を付けた。
火は一瞬で燃え広がり、女子が撒いた1〜2階の油にも引火。彼女は前後の退路を断たれてしまったようだ。仲間内から一人が飛び出し、こちらから見ると裏手にある階段上り口に急いだ。が、既に火は彼女の服を焦がし始めている。

「とべ!」と絶叫すると、彼女は躊躇なく跳んだ。彼女はそれなりに大柄であったが、お互い怪我なくうまく抱き止められた。ふと横を見ると、先に飛び出した彼が、煤けた顔に複雑そうな表情を浮かべて立っていた。
 
まだ学校の敷地内なのか、それとも学校を出てすぐのあたりか、児童公園のような場所に差し掛かった。先ほどの女子は仲間の一人が負ぶい、怪我をしたらしいもう一人の仲間も、別の仲間が負ぶっている。他に手ぶらが一人、そして私という6人での行動である。私が一番まともに動けるようなので、斥候を務める事となった。参加組による妨害を警戒しての事だ。
公園の左手はひらけており、右手には乗用車が奥まで並んでいる。私は車に隠れながら奥に進んだが、時折、何かが激しく地面を打つのに気が付いた。車の陰から右手の先に目を凝らすと、100数十メートル先の陸橋の上に人影が見えた。どうやら狙撃されているらしい。おそらく参加組の一員であろうが、先ほどの火事を含め、帰宅を前に、18日を待たずして始まった異常事態に慄いた。さらに、前方わずか10数メートル程度の場所にも狙撃手がおり、こちらを狙っている。さすがにこれはまずいと、意を決して車の陰から飛び出し、前方の公園出口に駆けた。2人の狙撃手がそれぞれ数発発砲したが、錬度はさほどでもないらしく、結局弾が当たる事はなかった。
公園を出て、陸橋から見えない位置まで走った私は、付近の塀に張り付いて、数メートルほど先まで近づいたと思われるもう一人の狙撃手に意識を集中した。
いつの間に手にしていたものか、私の手にも銃が握られていた。少し長めの銃身を備えた狙撃用の銃で、レバーを引いて弾を装填し、引き金を引いて弾を発射するという、単純な作り。そして弾がゴムだった。しかし手ぶらよりはマシ。威嚇にはなるかと、塀が左側に折れた先にいると思われる狙撃手に対して、右手と銃だけ出して目暗撃ち。しかし、弾の材質がゴムなのはともかく、飛び出す勢いの弱さや飛んでゆく方向の定まらなさには不安を覚えた。そもそも当たっても効くのか。
私と似た感想を抱いた相手が、塀の向こうから声だけ投げかけてくる。「こっちの銃の方が弾との相性がいいみたいだな」と、狙撃手。この言葉を聞いて、幾つか想像できる事があった。おそらく相手の弾もゴム弾。そして銃も弾も相手が自分で用意したものではない。私が偶然この銃を手にしたように、偶然手にした銃なのではないか。相手側に感じていた脅威が多少薄れた所でふと横を見やると、もたれている塀のフェンスになっている一部から、左側に折れた塀の向こう側にもあるフェンス越しに狙撃手の姿が見えている事に気が付いた。

なんと直線距離にして僅か2メートル無い程度。狙撃手の姿は、サバイバルゲーム好きの高校生といった風体。慌ててフェンス越しに狙いを付けると、向こうも気付いて銃を構える。軍用のヘルメットはいかにも堅牢そうで、当てるとすれば目から下。しかしどうせ狙っても期待通りには飛ばない弾である。おおまかに顔面目掛けて発射した。ゴム弾は彼の右こめかみに命中。目がぐるりと回転し、よろけ伏した。
どうなったか、と塀の外を回って様子を見ると、痛さに呻きながらも、背中の鞘に収めた軍用ナイフに手を伸ばそうとしているのが見えた。慌てて背中を蹴りつけるようにしてナイフを押さえると、うまく鍔と靴裏が引っかかったようで、引き抜きを抑える事ができた。混乱したのか、ナイフから手を離したので、そのまま背中から組み付き、チョークスリーパーで絞め落とした。
簡単に彼の荷物を漁った私は、ナイフを2本と、硬い革の帽子を拝借。
 
次に目を向けたのは今立っている場所からさらに10メートルほど先のダンボールハウスである。私はそこに何がいるのかを知っていた。帽子とナイフを手に、ダンボールハウスの中を覗き込む。中には40代後半から50代前半と見える男の寝姿があった。頭頂は禿げ上がり、身体の肉付きは良い。そして腕の中には銃器刀剣の類が抱えられていた。私は、この男をどうにかする必要があった。寝ていたのは僥倖。まともにやりあったらまず死ぬしかないという類の人種である。
私は自分の呼吸が激しくなっているのに気が付いて息を止めた。しかし男が起きた様子は無い。が、これも芝居かもしれない。私の気配に気付いて起きたかもしれない。最初から起きていたかもしれない。
私は後ろを振り返った。残してきた仲間たちが、陸橋の狙撃手の弾を掻い潜りながらこちらに近づいてくる。彼らが私の所まで来たら、さすがに男も目を覚ますだろう。寝ている振りをしているわけにもいかなくなるだろう。
寝ていようが起きていようが、隙は充分。今、即座にナイフを突き立てれば、確実に男を殺害できる距離だ。しかしそれは私の本意ではない。武器を押さえる、もしくはナイフで手足等を使えなくするというのが理想であったが、男の体勢から見て、それは不可能だった。
ただ禿げた頭だけを無防備に私に向けている。
 
さて、ここで17日を必死で生きる私の意識は止まり、暖房の効いた5日の部屋でうたた寝する私が代役としてこのシチュエーションを受け持つこととなった。5日の私の判断は「ナイフを突き立てる」であり、それは成功したのだが、その映像はあまりにリアリティを欠いており、ナイフの刺さった硬い禿頭の画は、ギャグの香りすら漂っていた。
この違和感の原因は、5日の私と17日の私の状況の違いと、17日の可能性としての「結局判断つきかねているうちに男が起きて殺される」事の有力さ故だろう。少し考えれば、もう選択肢は決まっているのだが、土壇場でどう動けるかは分からない。
 
とりあえず5日の私は夕飯を作って食べ、風呂に入った。17日の私はしっかり判断を下して生き抜くといい。
18日は近い。