天津小湊にて

 時は流れていくものだし、犬が吠えれば烏も啼くし、地面に落とした飴を舐めるとジャリっとした感触が口の中に広がるものだと思っているので、基本的には何が起こっても動じないようにしている。
 とはいえ、私でも少なからず動揺したり、先を案じる事もある。それは主に自分以外の人間の事に関してである。自分はいざとなっても『まだ、生きてる…』(本宮ひろ志、著)的に、山中で自殺未遂の妊婦の分娩を介助したり、耳から血を流したりするからいいのだが、他の人間はどうだろうか。
 私を不完全にしているのは、他者への僅かな思いやりである。それは、他の人間は自分ほどの境地には達してはいないだろうという見下しでもある。
 何が言いたいのか。つまり、先程、自分が無意識のうちにそばと焼きそばを同時に食べているという事実に気が付いた瞬間、少なからず愕然としたものを覚え、もう、何がなんだか…。